ボルゴグラード市訪問報告書

2002/09/042002/09/10

 

 

 

20021015

 

 

 

 

 

広島メッセンジャー

 トルストグーゾワ・イリーナ

  藤田 誠

 


 

● 感想

 

ボルゴグラードは今回始めての訪問でしたが緑が印象的な街でした。

最も印象に残ったのは学校の訪問でした。

ボルゴグラードの学校は1年生から11年生(2〜高3)1つの学校に通うので、学校同士の交流は小学校だけでなく中学校、高等学校もあればよいなと感じました。

ボルゴグラードの子供達が日本に対して少なからぬ興味を持っているのを感じました。

このような交流の場としてメーリングリストまたは電子掲示板を作れたらと思いました。

(メーリングリストまたは電子掲示板については正式に決まった時点でユーラシア協会広島支部のホームページ http://www.t-w.co.jp/eurasia-hiroshima/ で発表することとします。)

昨年から広島で行われているボルゴグラードの日の催し物は市民全員ではありませんが広島市民がボルゴグラード市を認識するよい機会となっています。この日にNetMeetingのようなインターネットの技術を使って交流ができたらもっとお互いの理解が深まるのではないかと感じました。

 

 

新入生を迎える最高学年の生徒(8学校)

 


91日の新学期を迎える催し物(8学校OLYMPIA)

 


 

内容

 

● 2002969:3011:00     第8学校(OLYMPIA)訪問... 5

● 20029611:0013:00     第81学校訪問... 22

● 20029614:0016:00    ボルゴグラード州平和財団訪問... 32

● 20029617:0018:00 広島ジュニアマリンバアンサンブル演奏会... 36

● 2002978:3010:00 広島市長経済セミナー... 39

● 20029711:3013:00 姉妹都市提携30周年記念式典・記念公演... 42

● 20029714:2016:00 ボルガ川遊覧... 51

● 20029710:0011:00 ボルゴグラード市長訪問... 54

● 20029811:3013:30 日本庭園開園式... 58

 20029614:0014:30 広島紹介展... 61

● 20029615:0015:30 ママエフの丘での献花... 63

● 20029822:0022:10 花火大会... 65

● ホテル... 66

● 町の様子... 67

● モラル... 70

● 物価および貧富の差... 72

● IT事情... 75

 

 


 

● 2002969:3011:00         第8学校(OLYMPIA)訪問

 

 

ボルゴグラード市立第8学校 オリンピア

 

ボルゴグラードで最初の訪問先は生徒数1700人のオリンピアという学校でした。


 

第8小学校の食堂

 

ロシアで学校を訪問するのは初めてなのですが、先ず大きな食堂があるのに驚きました。そういえばロシアでは先生と一緒に食べる給食というものがないのだということを再認識しました。

 

 

廊下に描かれたロシアの歴史絵巻の一部

 

長い廊下の壁にはロシアの歴史絵巻が描かれていました。

 

 

高学年のクラス

 

 

 

授業を覗いてみると1クラスの人数はあまり多くないようです。大体20人程度でしょうか。

 

 

低学年の授業

 

 

パソコン教室

 

パソコン授業の教室にはPentium90からCerelon600までの8台のデスクトップパソコンが設置されていました。OSWindows98とのことです。

 

 

基町小学校から預かった写真を説明する広島メッセンジャーのイリーナさん

 

基町小学校から預かった校長先生からの手紙と原爆ドーム等の写真、サンフレッチェから預かったサインボールやJTサンダースのパルシン監督から預かった黒鷲旗優勝の本等を生徒の代表としてサッカーチームの主将に手渡しました。サッカーチームは全ロシアで3回チャンピオンになったことのある強豪校だそうです。

 

サッカーチームのメンバー達

サンフレッチェのサインボールを受け取るサッカーチームのキャプテン

 

 

料理の授業

 

ある教室では小学生高学年くらいの年頃の6人の男子生徒が料理の授業を受けていました。週6時間のカリキュラムで将来はプロのコックになるそうです。

 

料理の授業で使用しているCD-ROM

 

絵まで描き込まれた生徒の料理のノート

 

 

洋裁の授業を受ける女生徒達

 

その隣の教室では小学生高学年から中学生くらいの年頃の10人の女生徒が洋裁の授業を受けていました。先生はモスクワの有名なデザイナー、ザイツェフの弟子だそうです。先生の説明によれば彼女達は理容・美容の勉強もするとのこと。ある意味でこちらの公立学校が日本の専門学校の役目も果たしているようです。

 

 

洋裁の生徒達が開くファッションショーの写真

 

インターネットルーム

 

また、授業で使用するコンピュータルームとは別にインターネットにつながったパソコンが5台あり先生たちと高学年の生徒達がここで自由に作業できるとのことです。これらのパソコンのOSWindows2000MicrosoftOffice97、露英・英露翻訳ソフトPROMT98をはじめとしてさまざまのアプリケーションソフトがインストールされていましたが概して34年前のバージョンでアップグレードはされていないようでした。ただ、ソフトは最新のものではなくても機能は十分なもので、上手に活用されているなという印象を受けました。

パソコンから広島でのボルゴグラードの日の写真をお見せしようとしたのですが回線が混んでいたのか、プロバイダの回線が細いのかユーラシア協会広島支部のページにはつながりませんでした。

 

 

パソコンで作った学園の美女コンテストの賞状

 

パソコンで種々の賞状やエンブレム、カレンダー等を作成しており、中には学園の美女コンテストの賞状もありました。

 

 

学芸会「裸の王様」の写真

 

学芸会の写真を見ると衣装は洋裁教室の生徒達が縫ったもので「裸の王様」等の演目は本格的なものでした。

 

ビデオ編集用の設備

 

ビデオ編集用の設備もあります。

 

地域の人達のためのコンピュータ講座

 

地域の人達に対してコンピュータ講座を行ったりもしています。

 

8学校からはサッカークラブ「OLYMPIA」の資料(プロチームおよびジュニアチーム)、生徒達の図工作品、教育資料(小学校でのコンピュータ学習他)、学校紹介ホームページCD-ROM、生徒達からの手紙と写真、基町小学校と幟町中学校の校長先生への手紙を預かってきました。

 

翌日、広島市長の経済セミナーに参加していると、市会議員でもありプロサッカーチーム「OLYMPIA」のオーナーでもあるチュバリスキー氏がつかつかと私の席に歩み寄ってきて、名刺を渡し、「サンフレッチェと交流試合をしてもよい。こちらから出かけてもよいし、そちらからきてもよい。」と早口でしゃべって去っていかれました。

 


 

● 20029611:0013:00       第81学校訪問

 

 

街の中心にある第81学校に車で到着すると、その前の第8学校の訪問でかなり遅れてきた我々を学校の前で待ち受けておられた校長先生と教頭先生が出迎えてくださいました。

 

 

校内の仏・英・露併記

 

この学校では英語・フランス語の教育に力を入れておられるということで構内の表記にもそれが感じられます。

 

 

懇談を行った生徒達

 

まず真っ先に通されたのは18人の11年生(日本では高校3年生)が着席する教室でした。

校長先生の語学教育に関する簡単な説明の後、亀山小学校の校長先生の手紙のロシア語訳を読み上げました。

尚、校長先生の話によれば、こちらでは小学校1年生から外国語を始めるとのこと。また、ロシア語(国語)以外に古いロシア語も学習するとのこと。日本の授業で言えば古典ですね。

生徒たちとの質疑応答に入ると生徒たちは英語で話し掛けてきましたが、私がロシア語で答えるとそれ以降はすべてロシア語の会話となりました。生徒達の英語の勉強にはならなかったようです。

生徒たちの発言では日本のアニメ等の文化に興味があり、現在ボルゴグラードではポケモンが流行っているとのことです。

日本のことわざを教えてほしいとの要望に私は「笑う門には福来る」ということわざを説明しました。とっさのことだったのでもっと気の利いたことわざがあったのではないかと悔やまれます。

日本の俳句を勉強しているので俳句を一句教えてほしいとの要望に芭蕉の「古池や蛙とび込む水の音」というのを解説しました。また、彼らの俳句の朗読も披露してくれました。

俳句はそのままカタカナでхайку(ハイク)またはяпонские трехстишия(日本の三行詩)と訳され、短い端的な言葉で多くのことを語る含蓄のある詩としてロシアだけでなく世界中で静かなブームを呼んでいるという知識はありましたが、まさかこのボルゴグラードでロシア語の俳句を聞くとは思ってもいませんでした。(イギリス映画007シリーズの副題の短い文章は俳句の影響だと聞いています。)(Live and let die. – 「死ぬのは奴らだ」と訳されています。)

私の非力なロシア語能力では彼らの朗読から原詩を推察するのは不可能でしたが、私の蔵書からマルコワ・ベラ氏の俳句の露訳を引用しておきますので、彼らの朗読がどんなものだったかご推察ください。

 

やせ蛙 負けるな 一茶これにあり

Эй, не уступай,

Тощая лягушка!

Исса за тебя.

 

もの言えば 唇寒し 秋の風

Слово скажу –

Леденеют губы.

Осенний вихрь!

 

何か漢字を教えてほしいという要望に対して「幸福」と「平和」という言葉を解説しました。

また、「木」という字と、木が2つで「林」になることを解説し、木が3つで、、、と続けると、察しのいい彼らはすぐに「森」と答えてくれました。

また、ロシア語の穴(ヤーマ)は日本語では山だと言うと彼らはこのことをすでに知っていました。

「紫式部の源氏物語の中に色には意味があるとの記述があるが、日本ではどの色にどんな意味があるのか教えてほしい。」との質問に「一般的には結婚式の白無垢の花嫁衣裳が『あなたのどんな色にでも染まります』という意味を持つという事例があります。皇族や貴族の世界ではそれぞれの階位に特異の色が決まっており、もっとも高貴な色は濃い紫だと聞いています。」と回答しました。

ロシア語をどうやって勉強したのかとの質問に対して、「私がロシア語を始めた頃、広島にはロシア人がほとんどいなかったのでロシアの歌でロシア語を覚えました。大学への自転車通学の途中で信号が赤になるとポケットからロシア語の歌詞を出して覚え、自転車をこぎながら歌を歌っていました。」と回答しました。

「ロシアでは現在、教育改革が進んでおり、その一環として学校の11年制を世界標準の12年生に変えるといわれている。生徒自身はこれをあまり望んでいないのだが日本ではどうなのか?」との質問に対して、「日本では小学校から高校まで既に12年制ですが、日本でも教育改革が進行中で、最近完全週休2日制が導入されて1日の授業時間が多くなっています。」と回答しました。

 

11年生との懇談が終わると講堂で広島市立広島工業高等学校の花本先生、広島市久地南小学校の中山先生と我々広島メッセンジャーの4人で我々の歓迎のためにわざわざ開いていただいた学芸会を鑑賞しました。

内容は大体以下のとおりでした。

 

 高学年女性トリオによるロシアの流行歌

 高学年女性ソロの英語の歌

 低学年女性ソロの歌

 高学年女性3人によるモダンダンス

 低学年(56年生)によるフランス語のジングルベルの歌

 高学年男女数人による俳句の朗読

高学年女性ソロのロシアの流行歌

 低学年女子の新体操ソロ演技

 低学年7人の原始人衣装による歌と踊り(もし学校がなかったら…)

 

 高学年女性トリオによるロシアの流行歌

 

 

 高学年女性ソロの英語の歌

 

 低学年女性ソロの歌

 

 高学年女性3人によるモダンダンス

 

高学年女性ソロのロシアの流行歌

 低学年女子の新体操ソロ演技

 

 

 低学年7人の原始人衣装による歌と踊り(もし学校がなかったら…)

 

最後に校長先生の挨拶と広島市久地南小学校の中山先生のお礼の挨拶がありましたが、さらに同校が語学教育に力をいれておられることに関連して私が歌を通じてロシア語を勉強したことを述べ以下のステンカラージンの有名な一節を歌わせていただきました。

 

Волга, Волга, мать родная,

Волга, русская река,

Не видала ты подарки от донского казака.

 

ボルガよ、ボルガ、母なるボルガ

ロシアの河、ボルガよ、

ドン川のコサックからのこんな贈り物を見たことがあるまい。

(といって、ペルシャのお姫様をボルガ川に放り込むという場面です。)

 


 

広島メッセンジャーのイリーナさんと広島市久地南小学校の中山先生から亀山小学校の校長先生のメッセージを校長先生に手渡す

 

その後、校長室で広島メッセンジャーのイリーナさんと広島市久地南小学校の中山先生から亀山小学校の校長先生のメッセージを校長先生に手渡していただきました。

11年生の生徒からお守りの土鈴人形、校長先生からはパレフ塗り風の小箱、絵葉書、チョコレートの詰め合わせ、ウォッカをお土産として戴きました。パレフ塗りの小箱と絵葉書、土鈴人形、チョコレートの詰め合わせについては亀山小学校にお届けしたいと思います。ウォッカについては日本ユーラシア協会広島支部の主催で10614:3016:00に留学生会館で行われるボルゴグラードの日報告会で使用したいと思います。

また、校長先生から亀山小学校への贈り物の箱がホテルのほうに届けられるといわれていたので、こちらは広島市のほうから亀山小学校に渡されると思います。

当方からの折り紙等の記念品は後日、ボルゴグラード市の国際交流課の方から手渡していただくものといたしました。

 


 

● 20029614:0016:00       ボルゴグラード州平和財団訪問

 

 

 

昼食後、ボルゴグラード州平和財団を訪問しました。9名の方にお会いしましたがいずれも高齢の方達で、友好姉妹都市締結以前から両市の友好にかかわってきた面々でした。ボルゴグラードからはじめて広島を訪問したのは自分だという方もおられました。

平和財団では以前「広島折鶴の会」に連絡をとったことがあるのだが返事がなかったとのことでそのときの書類(ロシア語)を預かってきました。

 

 

オリガさん(Ольга Сергеевна)

 

 

国際友好クラブ(Клуб Интернациональной Дружбы)子供達

国際友好クラブ子供達から手紙を預かる広島メッセンジャーのイリーナさん

 

途中からオリガさん(Ольга Сергеевна)というおばあさんが10名余りの中学生くらいの国際友好クラブ(Клуб Интернациональной Дружбы)子供達を連れておいでになり、彼らから約10通の広島の子供達への手紙を預かってきました。(ほとんどがロシア語で一部英語)

一部見てみますと文通希望のように思えます。

また、このオリガさんから「広島折鶴の会」と広島ユーラシア協会広島支部のそれぞれに小さな木製の鳥を預かったのですが、大変申し訳ないことに、帰路のバスの中で紛失してしまいました。

 

平和財団の訪問者ノートには広島メッセンジャーとして平和と友好に関する2人のコメントを記してきました。

 

平和財団からはボルゴグラードの歴史写真集、バリザム酒、ホホロマ塗りのジョッキをお土産に頂きました。ボルゴグラードの歴史写真集は広島ユーラシア協会広島支部で保管していただき、バリザム酒とホホロマ塗りのジョッキは日本ユーラシア協会広島支部の主催で10614:3016:00に留学生会館で行われるボルゴグラードの日報告会で使用したいと思います。

 

平和財団では真昼間からウォッカ連続乾杯の洗礼を受け、これ以上詳しいことは覚えていません。

 

ボルゴグラード平和財団の方々と記念撮影

 


 

● 20029617:0018:00 広島ジュニアマリンバアンサンブル演奏会

 

 

演奏会のポスター

 

打楽器芸術大学のコンサートホールでの広島ジュニアマリンバアンサンブルの演奏会は大成功でした。

たくさんのお客様に集まっていただき、アンコールも3回ありました。

演奏終了後もメンバーはステージの上にあがってきた子供達からサインを求められていました。

イリーナさんによれば、大好評の理由にはマリンバという楽器の珍しさおよびいわゆる木琴でこれだけの演奏ができるのかという驚きがあったのではないかということでした。

 

広島ジュニアマリンバアンサンブルの熱演

 

ホールに集まったお客さま達

 

公演後の交流

 

P.A.セレブリャコフ名称

ボルゴグラード芸術学院

1917年創設

1957年復興

 

演奏が行われたホールの壁面に大きくかかれていました。

 


● 2002978:3010:00 広島市長経済セミナー

 

 

秋葉市長と通訳

 

広島市長の経済セミナーでは会場となったセミナールームのパソコン画面やビデオのプロジェクタ、出席者全員のマイクロフォン管理等の施設の充実ぶりに驚かされました。

 

各席に置かれているミネラルウォーターが全てPETボトルだったのには少々がっかりしました。以前はミネラルウォーターもジュースもビールも全てが規格統一された500mlのガラス瓶で、私は個人的にこれが理想的な循環システムだと評価していたからです。

 

セミナーの始めの頃に市長の50歳前後の通訳が私語を話していた若い女性のマスコミ関係者を叱り付けて追い出してしまいました。日本で通訳がこのようなことをすることは絶対にありません。これは職業、立場に関係なく年上の人間が若い者の間違いを諭すというロシアのよき習慣だと思います。

 

LUKOIL社の石油タンク

 

ボルゴグラード市の経済ではLUKOILという石油会社が大きな部分を占めているような印象を受けました。

自動車産業が大きな位置をしめる広島市にとって、ボルガ川のさらに上流にあるロシア最大の自動車産業の都市トリアッチとの経済交流も有益ではないかと思われます。トリアッチはロシア最大の自動車メーカー「ボルガ自動車工場」(avtoVAZ)の企業城下町です。(私は個人的にロシアのトヨタと呼んでいます。)

広島の機械メーカーがavtoVAZの下請工場にプラスチック部品の成形機を納入したことがあります。納入前にロシアの金型で欠陥のない製品が製造されることを確認するためにロシアから技術者が来広しました。ところが何度やっても欠陥のない製品を成形することができません。考えられる手段を全て尽くした後に日本側の技術者がその原因を理路整然と説明し、ロシアの金型をどのように修正すればよいかを説明しました。その説明でロシア人技術者は納得し、無事プラスチック成形機を納入することができました。それ以降、その下請会社の製品の高品質が認められてavtoVAZに広島のメーカーからプラスチック成形機を直接納入するようになりました。また、avtoVAZの技術者が広島の成形機メーカーを訪問した際にマツダにプラスチック製品を納入するメーカーも見学する機会がありましたがその技術も高く評価されていました。

技術通訳としてそれらに立ち会った私は広島の自動車部品製造技術は非常に高いものであり、それは現在のロシアで必要とされているものであるという感想をもちました。

 


 

● 20029711:3013:00 姉妹都市提携30周年記念式典・記念公演

 

 

 

 

会場の前で民族衣装を着た女性がパンと塩で広島市長を出迎えるというロシア古来の儀式の後、全員が会場に入場しました。

 

 

ロビーで折り鶴を折る子供達

 

会場のロビーでは鉢巻をした数人の子供達が折り鶴を折っており、秋葉市長もその中に座り込んで折り鶴を織られました。

 

 

会場の最前列に着席する両市長一行

 

 

記念式典・記念公演の内容は以下のとおりです。

 

ボルゴグラードと広島の惨禍をまとめたフィルム上映

Tシャツを着た学生達の日本語の歌の合唱

和服姿+大きなかんざしの女性達の日本風の踊り

ボルゴグラード市長、広島市長、広島市議会議長、ボルゴグラード市議会議長の挨拶

両市の友好に友好姉妹都市締結以前から係わってきた日本ユーラシア協会広島支部の福井理事とボルゴグラード平和財団の長老会員の挨拶

ボルゴグラード子供芸術アカデミーのダンスアンサンブルによるロシアの踊り

合気道の試技

ボルゴグラード交響楽団と第2音楽学校4年生のピアノの演奏

広島ジュニアマリンバアンサンブルの演奏

 

 

 

ボルゴグラードと広島の惨禍をまとめたフィルムは短いながらも印象的でなかなかよくできた作品だったと思います。

 

 

Tシャツを着た学生達の日本語の歌の合唱

 

 

和服姿+大きなかんざしの女性達の日本風の踊り

 

 

ボルゴグラード市長、広島市長、広島市議会議長、ボルゴグラード市議会議長の挨拶

 

 

両市の友好に友好姉妹都市締結以前から係わってきた日本ユーラシア協会広島支部の福井理事(左端)とボルゴグラード平和財団の長老会員(右端)の挨拶

 

日本ユーラシア協会広島支部の福井理事の挨拶は緊張しているということもさりながら、30年以上の歴史に感極まっているという気持ちが伝わってきました。

 

ボルゴグラード子供芸術アカデミーのダンスアンサンブルによるロシアの踊り

 

コンサートの内容には日本を意識したものが多く取り入れられていましたが、私が最も気に入ったのはボルゴグラード子供芸術アカデミーのダンスアンサンブルによるロシアの踊りでした。やはり、ロシアにきて本物のロシアの踊りを見るのは格別です。

広島ジュニアマリンバアンサンブルの演奏はロシアのお客様に気に入っていただいたらしく、アンコールの要請がありました。

 

 

合気道の試技

 

 

幕間にはロビーで弦楽四重奏の素敵な演奏もありました

ボルゴグラード交響楽団と第2音楽学校4年生のピアノの演奏

 

 

広島ジュニアマリンバアンサンブルの演奏

 

演奏を終えた広島マリンバアンサンブルのメンバー達


 

● 20029714:2016:00 ボルガ川遊覧

 

 

ボロチキン副市長主催のボルガ川遊覧昼食会では船上から町を望むことができました。

ボルゴグラードはボルガ川西岸に沿ってできた細長い都市なので船から全てが見えるとのことです。

 

川中の慰霊碑

 

川の真ん中に慰霊碑があり多くの花が捧げられていました。ヨットやボートで立ち寄って献花する人がいるのでしょう。われわれもカーネーションの花を川に投げ入れて川で死んだ人々の霊を慰めました。

 

   

広島メッセンジャー

 

 通訳のお二人

 

遊覧船の近くでチョウザメが飛び跳ねるのを数人が目撃しましたが、ボルガ川も年々水質汚染が進みキャビアのお母さんであるチョウザメも少なくなっているとのことです。

 

船上での談笑


 

● 20029710:0011:00 ボルゴグラード市長訪問

 

 

ボルゴグラード市役所

 

ボルゴグラード市長訪問時にはイリーナさんからチェーホフ市長に広島市立幟町中学校の校長先生からの手紙をお渡ししました。

 

市長訪問では市長同士の経済交流の話題が中心だったので私は報道陣と市長執務室の観察に徹してみました。

 

報道陣の取材記者8人は全て女性であることに驚きました。重いビデオのカメラマンも2人のうち1人は女性でした。ビデオカメラはSONYPanasonic、2人のカメラマンのカメラはCanonMinoltaでした。市場はサムソン等の韓国製が席巻しているようですがプロが使用するものは日本製のようです。

 

報道記者は全て女性

 

 

会談の様子を撮影するカメラマン

市長の執務室にプーチン大統領の写真が飾ってある

 

市長の執務室にプーチン大統領の写真が飾ってあるのは、ロシア帝政時代に皇帝の肖像画が、ソ連時代に書記長の写真が飾ってあった名残なのでしょうか。

 

経済交流協定の調印

 

チェーホフ市長の執務室の本棚のプーシキン全集

 

チェーホフ市長の執務室の本棚にプーシキン全集が置いてありました。

「チェーホフがプーシキンを読む」− これは使えるなということで早速写真を撮らせていただきました。

 

市役所入り口の警備


 

● 20029811:3013:30 日本庭園開園式

 

 

 

日本庭園のオープニングセレモニーは以下のプログラムで行われました。

 

マリンバアンサンブルの演奏

ボルゴグラード市副市長、市長、広島市長、広島市議会議長の挨拶

桜の苗の植樹式

ロシア舞踊

広島ジュニアマリンバアンサンブルの演奏

 

日本庭園は全て民間企業の寄付で作られたとストレルニコフ副市長が言っておられましたが、これは明らかにロシアが変わってきているのだということを感じさせる事実でした。

 

市民の関心も高く、オープニング前には長い行列ができていました。

 

 

ロシアの子供達によるロシア舞踊

 

催し物の中では、私には子供達のロシア舞踊が最も気に入りましたが、マリンバアンサンブルの演奏はロシア人に非常に好評で幼児がその演奏にあわせて踊りだすほどノリノリでした。特に3度のアンコールの中の2番目のアンコールで演奏した「カチューシャ」がもっとも好評でした。(коронный номер)

 

マリンバアンサンブルの演奏

 

マリンバアンサンブルの演奏にあわせて踊る幼児たち

 


 

 20029614:0014:30 広島紹介展

 

 

広島紹介展では広島の観光名所・名物以外に商店街や四季の景色等、多方面からの写真が展示されており、オープニングのテープカットの後、ロシア人ゲストへの説明でイリーナさんが大活躍されていました。

 

 


 

● 20029615:0015:30 ママエフの丘での献花

 

 

ママエフの丘の慰霊碑で花輪を捧げる秋葉市長と平野市議会議長

 

 

ママエフの丘の慰霊碑では秋葉市長と平野市議会議長が花輪を捧げられました。

我々広島メッセンジャーも参拝者ノートに広島メッセンジャーとして平和と友好のメッセージを残してきました。

 

 

慰霊碑の1時間毎の衛兵の交代

 

ママエフの丘で戦車部隊の兵隊さんたちとマリンバアンサンブルの子供達

 

 

 

● 20029822:0022:10 花火大会

 

 

日曜日の夜10時から510分間創立記念日を祝して花火大会がありました。

花火は川に浮かべたいくつかの船から打ち上げるとのことでしたが、花火自体は日本のものと同様にカラフルなものでした。20年前の留学時代に見た単色の花火しか記憶になかった私には新しい驚きでした。また、花火が上がるとロシア人はウラー(万歳)と叫んでいました。

 


 

● ホテル

 

私が市長一行と一緒に宿泊した「ボルゴグラード」というホテルはボルゴグラード市で最も由緒あるホテルです。

ホテルでは各階の鍵番の女性がその階の全部屋の管理を行うというロシア固有のシステムを踏襲していました。

私の部屋番号は449号室でした。日本では絶対にありえない不吉な番号ですが、これもロシアでなければ味わえない楽しい体験です。

部屋の天井は馬の上に乗って手を伸ばしてもまったく届かないような高さで、このあたりがこのホテルの歴史の古さと格調の高さを感じさせます。

 


● 町の様子

 

 

ボルゴグラード市の創立記念日は土曜日と日曜日の2日がかりのお祭りで通りには多くの出店が出て、ステージもいくつかしつらえてありました。

屋台のシャシリク(肉の串焼き)も食べてみたいと思ったのですが時間がありませんでした。

昨年から広島で行われているボルゴグラードの日の催し物は全員ではありませんが広島市民がボルゴグラード市を認識するよい機会となっていますが、この日にNetMeetingのようなインターネットの技術を使って交流ができたらもっとお互いの理解が深まるのではないかと感じました。

 

ちなみにボルゴグラードホテルの前の通りが平和通り(улица Мира)という名前だったのでその写真を載せておきます。

 

ボルゴグラードの平和通(улица Мира)


 

● モラル

 

日曜日の朝7時前に散歩していたときに見かけた光景です。

鳥料理のファーストフードの店先で3人が行列しているところに車椅子の身体障害者が近寄ると3人がすかさず順番を譲りました。まだソビエト連邦の時代に買い物をしていてもお金を支払う窓口には必ず長い行列ができていましたが、その窓口には「身体障害者と退役軍人には順番を譲ること」と書かれていました。

この良き習慣が今でも残っていることをはっきりと確認しました。

 

身体障害者に行列の順番を譲る

 

 

 


 

また、ロシアでは結婚式の後に新郎新婦が市内の名所旧跡を巡るという習慣があるのですが、ママエフの丘にもその一行が立ち寄ったのでしょう。ごみ入れのそばにシャンパンやビールの瓶が整然と並べられていました。

 

ママエフの丘のごみ入れのそばにシャンパンやビールの瓶が整然と並べられていました

 


 

● 物価および貧富の差

 

ホテルのビュッフェスタイルの朝食

 

今回、朝食はクーポン券を頂いてそれで食事をしていましたが、後で訊いてみるとこれが70ルーブル(280)とのことでした。日本人の感覚では安いのかもしれませんが、町で見かけた立食のソーセージ+ジャガイモが17ルーブル(68)、また平均月収が約100ドル(12,000)であることを考えるとかなり高価な食事といえるでしょう。

 

立食の肉の串焼き+ジャガイモが29ルーブル(116)

ソーセージ+ジャガイモが17ルーブル(68)

 

その他必ずしも生活必需品とはいえないのですが私の気づいた物の価格は以下の通りです。

 ビール(500ml) − 15ルーブル(60)

 板チョコ − 15ルーブル(60)

 シュガーレスガム − 8ルーブル(32)

これらは日本に比べてはるかに安い(1/21/3)のですがやはり平均月収(1/201/30)から判断するとロシア人にとっては物価が高いと感じられるのではないでしょうか。

 

平均月収についてはボルゴグラードよりさらにボルガ川上流のトリアッチというロシア最大の自動車工業の都市では平均月収が200ドルだと聞いたことがあります。モスクワではロシア人のための高級店も多くあると聞きますし、収入についてはいろいろなレベルで大きな較差があるようです。

 

夕方ボルゴグラード駅の近くを歩いていると34人の子連れのジプシーが物乞いをしてきました。無視すると罵声を浴びせます。これはそれで問題ないのですが自由市場でお土産のキャビアを買っているときに年老いたおばあさんが小声でしきりに声をかけてきたのには参りました。年金の上昇率が物価の急激な上昇率に伴わないために年金生活の老人たちが貧窮していると聞いていましたがその場でそれを実感しました。

 


 

● IT事情

 

ボルゴグラードはローミングが利かない地域なのでインターネットカードを利用することを前提としてモデム内臓のパソコンを持っていきました。

 

 

電話接続用のアダプタジャック(左がオスで右がメス)

 

ホテルの部屋を調べてみると机の後ろに電話接続用のアダプタジャック(ロシア規格)があります。以前訪ロしたときに購入していたロシア規格のアダプタジャックを持参していたのでインターネットカードさえ購入すればインターネットにつなげると考えました。ロシア規格のアダプタジャックがなくても電話線の大元には日本と同じモジュラージャックが使用されていたので日本のモジュラージャックでもつながると思います。

ホテルのアドミニストレーションに尋ねると、以前はインターネットカードを販売していたが現在は2階にあるコンピュータ室のパソコンが150ルーブル(600)/時間で使用できるとのこと。

2階の鍵番の女性にパソコンを見せてもらうとこれはLANにつながっているWindows2000のマシンでした。LANカードを持っていっていなかったのでこのパソコンで日本語が使えるようにしようとしたところ鍵番の女性はパソコンがさっぱりわからないので明日専門家を呼ぶとのことでした。こちらはそんな悠長な時間はないのでインターネットカードを買える場所かインターネットカフェの場所を教えてほしいと尋ねたところ、ボルゴグラード駅の近くにあるという24時間営業のインターネットカフェの場所を教えてもらいました。教えられた場所付近に行ってみるとコンピュータクラブというものがありました。閉店しているようなのですが外からパソコンがたくさん並べてあるのがわかります。呼び鈴を押すと中から人が出てきましたがインターネットはやっていないとのことです。

インターネットカードが入手可能なゴーリキー図書館

 

街中で入手した情報によると、インターネットカードは駅の近くのゴーリキー図書館で購入できるということでしたが図書館が開館している時間はスケジュールがあるので購入できませんでした。

 

コンピュータクラブの看板と入口

 

町を徘徊していると建物の隅っこに「30m先コンピュータクラブ」という文字と曲がった矢印の小さな看板が眼につきました。矢印の方向に歩いていくと建物に囲まれた中庭があり、その片隅にコンピュータクラブの看板の貼られた地下室への入口がありました。まだ朝の7時過ぎで開店前だったのですがドアをノックして尋ねると背の高い20歳位の青年が自分の知っているインターネットカフェがそこから5分くらいのところにあるので案内してくれるとのことでした。

 

パソコンクラブの中

 

パソコンクラブとはパソコンの同好の志が集まるところかなと思っていたのですが、彼の話によれば1時間10ルーブル(40)程度でパソコンを使うところのようです。パソコンはインターネットにはつながっていません。どのような使い方をするかというと、基本的にはパソコンゲームで遊ぶようで日本のゲームセンターの代わりの役割をはたしているようです。

また、彼が学校で使っていたパソコンはインテルの386マシン(Windows3.1を動作させるのがやっとのレベルのマシン)だったとのことです。今回訪問させて頂いたOLYMPIAのような学校はまだ生徒1人あたりのパソコン台数が少ないと感じていましたが、それでも他の学校と比べると恵まれているのかもしれないと思いました。

さてインターネットカフェに着くとやはりここでもホテルと同じ問題がありました。

ただ、そこに詰めていた青年がコンピュータのことをよくわかっていたので私の簡単な説明でLANでつながれたパソコンの1つに日本語モジュールをインストールしてくれました。問題は私のパソコンのデータをどうやってそのパソコンに移すかですが、幸いにも移動すべきファイルがフロッピィディスクに収まるサイズだったのでフロッピィディスクでことなきを得ました。(私はデータ移動用にコンパクトフラッシュを持っていっていたのですがこれは使えませんでした。)

かくして日曜日と月曜日の朝にインターネットカフェからユーラシア協会広島支部のホームページを更新することによって、ボルゴグラードから生の情報を発信するという出発前のお約束は守られたのでした。

ボルゴグラード市で撮影された広島ジュニアマリンバアンサンブルの子供達の写真が訪問団の帰国前に広島市の国際交流課からアンサンブルのメンバーの父兄に手渡されたのには以上のような経緯があったのです。(ボルゴグラードの親切な市民に感謝、感謝。)

 

ちなみにこのインターネットカフェの料金体系は1時間40ルーブル(160)または1分間1ルーブルのどちらかを選択するようになっています。個々のクライアントマシンではフロッピィディスクドライブは使えないようになっていました。

今回は私のスケジュール自体が特殊だったのでインターネットカフェを利用しましたが、通常はインターネットカードを使用するのが最も経済的だと思われます。ただし、多くの場所でLANが構築されているのでLANカードも所持していったほうがよいかもしれません。モデム経由の通信は速度が足りないような場合や今回のようなケースには対応できます。

インターネットカフェ 「カムチャトカ」

 

インターネットカフェのパソコン(15台のクライアントパソコンが置いてありました。)

 

インターネットカフェのチャーミングな従業員

 


 

秋葉市長の経済セミナーが行われた市役所のコンファレンスホールの施設も立派なものでしたがLANも立派なものが敷設されているようでした。

 

ボルゴグラード市役所のLANのハブ

 

 

「ボルゴグラード」ホテルの専用チャンネルのコンピュータグラフィックス

 

「ボルゴグラード」ホテルにもLANが敷かれているようでレストランやフロントにWindowsパソコンが置いてありました。また、ホテルの専用チャンネルで放送がないときに表示されるコンピュータグラフィックスの画像はそれなりのレベルを感じさせるものでした。また、この専用チャンネルもコンピュータで運用されているようで、画面の切り替えのときに一瞬OSの画面が表示されることがありました。